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私の大事な思い出のお話。
家ねっと代表でエスコートランナー役の中野です。
4月に入り、
娘が、孫が通う小学校のPTA役員になると聞き、
時代が一巡したのだなあと、
思いました。
私は、昔、看護婦でした。
忙しさのあまり、と言うか、
仕事に没頭し、
PTAは、暇なお母さんがするものと、
傲慢にも思っていました。
娘たちの友人も知らない有様でした。
それが、180度変わったのは、
自分が病気になり、看護婦を辞めた時です。
長女が5年生の時でしたが、
一度も参加したことのないお母さんたちの交流会に、
参加してみました。
棒立ちの私に、
『中野さん、一緒にジャガイモの皮を剥きましょう。』
と、
知らないお母さんが、
声をかけてくださいました。
この時から、
私のPTAとの関わりが始まりました。
次女のクラスでは、
学級代表になりました。
パートで働いていましたが、
代表が一番時間の自由が効きましたから。
そして、
役員のお母さんたちと話し合い、
一人でも多くのお母さんに参加して頂けるように、
年間スケジュールを4月にたてました。
行事も多くしました。
それは、数打ち当たるではないですが、
一度くらいなら、
都合がつく日があると思ったからです。
そのな活動を2年間続け、
卒業を迎えました。
クラスのお母さんたちが考えたのは、
自分の子どもにメッセージを残す事。
お母さんたちは、
みんな、一生懸命に、自分の子どもへの思いを書いてくれ、
それは文集になり、クラスの子供たちに配られました。
そして、
クラスの卒業お別れ会の日、
いつも交流をしていた特殊学級のお友だちも、
参加してくれました。
この日は、各お母さんが自分の子どもに、
そのメッセージを短くして読むことになっていたのですが、
特殊学級のお友だちのお母さんも、
急遽、メッセージを書いてきてくれました。
そのメッセージを、
私が代読することになったのですが、
私は、
声が詰まって読むことができませんでした。
見かねて、
他のお母さんが読んでくれたのですが、
そのお母さんもやっと読みました。
そこには、6年生で行った修学旅行の事が書かれていました。
『Iちゃん、修学旅行に行けて良かったね。
大きなお風呂にみんなと入れて、良かったね。』
たった、
これだけの文章ですが、
そのお母さんの思いが詰まっていて、
同じ母親として、みんなで泣きました。
私にとって、
3人の娘たちを通してのPTA活動は、
今まで、
経験したことのない素敵な思い出になりました。
なんでも嫌わずにやってみるものですね!
エスコートランナー役の中野でした。