エスコートランナー
残したいもの。
家ねっと代表で
エスコートランナー役の中野です。
今日は朝から嬉しいお電話を頂きました。
私は、
家ねっと代表の他、
小樽の古い民家を活用する為の
NPOも立ち上げているのですが、
家ねっとのお客様のご紹介で
『小樽にある築90年のうちを
どなたか、使ってくださる方を
探せないだろうか』
と言うお電話を頂いたのです。
まずは、
お客様が紹介してくださった!
という喜びと、
小樽の古い家が
また一つ活用されるかも知れない!
と言う喜びと、
二つが頭の中で、
スキップダンスでした。
そして、
親の家を
できれば残したいと仰るお話を聞きながら、
そうだよなああ。。。
と、
改めて思いました。
ましてや、
築90年でしたら、
ご自分もその家で生まれ
育ったのでしょう。
なおさら、
壊したくないと
思うのです。
ふと、
家って、何だろう、
と思いました。
我が実家は、
私が17歳の時に、
出来ました。
大昔は、
定年退職をしたら
退職金で家を建てるのが
普通でしたが、
その当時から
ローンが活発になり、
とても金利が高かった時代でしたが、
父は、残債は退職金で払うつもりで
建てたと思います。
洋式の水洗トイレがあり、
洗面所もあり、
お風呂にはシャワーもついて、
おまけに
浴室の床は床暖房が入っていました。
それまで住んでいた官舎は、
ぼっとん便所、
断熱材なんて入っておらず、
糞柱と呼ばれる【柱?(^ ^)】が、
冬になると
お尻を突きそうになるのです。
茶の間のストーブの周りだけが温かく
それはそれは寒い家でした。
私の部屋は
手作りの屋根裏部屋でした。
それが新しいうちでは
八畳の個室があたり、
壁紙は
可愛いプードルの絵が付いていました。
中々洒落た家だったんですよ。
私は、結婚後、
3年くらい、その家に住みました。
夫は、マスオさん状態でしたが、
父と夫が仲良しだったので、
楽しく暮らしていましたが、
3番目の娘が生まれる時、
母に『これ以上は私の体力が無理!』
と言われ、
実家の近くに引っ越しました。
我が家は共働きだったので、
私の母にかかる負担が大きすぎたのです。
母も家で父の仕事を手伝っていましたから、
大変だったのでしょう。
それでも、
結局実家の近くだったので、
孫たちは毎日実家に遊びに行き、
一緒に住んでいるのと変わらない!
と、父も母も、
ため息交じりで孫の面倒をみてくれました。
今、
その実家も、
家主の荷物置き場に
なっています。
母は、
暖かい有料老人ホームに入りましたから。
きっと、
家って、
自分たちの過ごした時間と
家族の魂が宿っているものなのですね。
小樽の古民家は活用がされやすいですが、
我が実家は厳しいだろうなあ、
と言ったら、
お仲間の不動産担当柴山さんが、
いいえ!どんなおうちも大丈夫!
と、言ってくれました。
実家も生き残れるかも知れません。
エスコートランナー役の中野でした。