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出産と仕事、私の場合

家ねっと代表でエスコートランナー役の中野です。

先日、
女優の南果歩さんのお話を

何かで読んだところ、

子どもが生まれるまで、
自分は何のために生まれてきたのだろう。

と、
随分考え込んでいたそうですが、

陣痛ののち
我が子を抱いた時、

自分以上に愛しい存在の出現に、
自分が生まれた時のことに思いをはせ、

自分もそう思われて
この世に生を受けたのだと、

自分が生を受けたことに、
感謝するようになり、

それからは、
人のために生きるようと決めた。

と、
書かれていました。

私は、
長女が生まれた時の事を、

それを読んで
思い出しました。

私は昔看護婦でしたが、
あまり意識が高い看護婦ではなく、

どちらかというと、
デモシカ看護婦でした。

中々仕事の意欲が湧かず、
可もなく不可もなく、

怠けもしないけれど、
意欲もなく、

そんな感じでした。
ところが、

長女を出産し、
産休中、

自分の腕の中に
我が子を抱きながら、

この命、消してなるものか。

と、急に思ったのです。
今でもその瞬間を覚えています。

当時、
産後休暇は6週間でした。

授乳時間というのがあって、
昼休みを長く取り、

保育園で授乳し、
搾乳もしました。

もっとも、
量が足りなくてアレルギー用の

ミルクも使いましたが、
美味しくないのかあまり飲まず、

夕方、
仕事をあたふたと片付けて、

お腹を空かして泣く娘に
授乳していました。

なんだか、
わー大変!という感じに聞こえるでしょう?

ところが、
そんなに大変だったのに、

長女の命の重さを感じたことが、
私の看護婦魂を呼び起こし、

仕事にも、
燃えはじめたのです。

どんなに寝不足でも、
看護婦の仕事が面白くてたまりませんでした。

でも、
子どもも可愛くて、

そのど忙しい中、
次女と三女も出産し、

育児休暇などない中、
看護婦の仕事を続けていました。

もし、
あの時、結婚しても子どもができなかったら、

私は看護婦を続けていたかしら?
と、思います。

結局、
無理がたたって看護婦を辞め、

今の仕事をするようになり、
気がつくと、

看護婦時代をはるかに超える時間が
過ぎました。

でも、
看護婦時代に学んだことは

今も私の仕事人生の
基本になっています。

普通のお母さんらしい事を
子どもたちにはしてあげられず、

あんまり良いお母さんではなかったけれど、
娘たちのお陰で、

命の尊さと
仕事をすることの意味を学びました。

生まれてきてくれた娘たちに感謝です。
人それぞれですが、

私の場合、
出産が、

逆に
仕事に火をつけたという、

多分
稀な例だと思います。

エスコートランナー役の中野でした。

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