家ねっとBlog
自分の道・・・2019.5.8
こんにちは!エスコートランナーのはがき絵が大好きな山谷です!
連休はどのようにお過ごしでしたか?
私は函館へお墓参りを兼ねて
お花見に行って来ました。
函館公園、五稜郭公園共々綺麗ででした(#^.^#)
「家ねっと」代表の中野さんがセミナーで使う
一本道の表はとても面白いです。
早速自分の人生を振返ってみました。
生まれて物心ついた時から
ず~~~っと続く一本道。
自分が決めて歩き出したのは
幾つ頃からでしょうね~?
自我が芽生える10歳くらいでしょうか?
15歳の時には、
学校の進学先を自分で決めているはずです。
成績が問題で希望の所に行けなかったとして
それは中学3年間の結果です(^_-)-☆
高校から大学もそうですね!
私は出来が悪かったので、
高校で就職しました(笑)
希望の大学に行けるだけの学力がなかった(#^.^#)
今のようにマンダラ手帳を使っていたらと
・・・・・。
全くの言い訳です(笑)
就職先では、会社の人達に
仕事についてはもとより
私生活についても
いろんなことを教えていただいたのですが、
当時はとっても「ウザかった」
今考えたら罰当たりなことです!
18歳の女の子ばかりが
親元を離れて北海道から東京へ就職したのですから
経営者は心配でしょうがなかったですよね~♪
そんな窮屈さから抜け出そうと退職し、
北海道に帰ることになり親元からの生活となりました。
函館で就職をして夫と出逢うのです。
夫は親を見るために東京から帰ってきていました。
函館で結婚し夫の家族(祖母・両親・妹)と
6人暮らしが始まりました。
ところが1年もしないうちに札幌に転勤となり
そのまま札幌に45年も住んでいるのです。
(今計算してビックリ)
夫の独立で5年で帰る予定が立ち消えになってしまいました。
義理の父や母が亡くなり、
本家は義弟が継ぐことになったのです。
34年前に我が家を建て、
子育てをしながら編み物教室をしたりできるようにしたのです。
刺繍もしていて、充実した時間でした。
でも間もなく、
夫の仕事を手伝いだしたことで
生活が激変です。
毎日が忙しく、
編み物などは押し入れの奥深くにしまわれたのです。
経営者仲間と行ったカナダの旅行がご縁で
20年前に一度リフォームをしています。
このリフォームが失敗だったことで
「家ねっと」にかかわることになります。
子供たちが独立し、
次の住処はどうしようか?
このまま住み続けるか?
マンションにするか?
と話している矢先に夫が亡くなりました。
今は思い出に溢れたこの家を手放すことはできない自分がいます。
二人で45年間歩いてきた一本道を振返りつつ・・・・。
さてさてこれから先はどうしたもんか
とゆっくり一本道をたどってみる連休の一日でした。