暮らし方
人が生きるということ・・・2019.12.07
こんにちは!
エスコートランナーの山谷です。
昨日は「家ねっと」定例会議と望年会。
会議では、
中野代表の自宅が取り壊されることになった
ことで起きる心の動き、葛藤をお話いただいた。
このことを通して改めて家(いえ)って何なんだろう?
ということになった。
春のセミナーのテーマである。
昔は家を継ぐといういい方で実家が残されていった。
だが高度経済成長ということで都会へ人が流れた。
核家族化が進み、人のつながりは希薄になった。
田舎で暮らす両親のもとへは、
もう子供たちは戻らない。
両親ともに亡くなり
引き取り手の無い空き家が出来る。
資産としての価値もなく、
思い出だけがずっしりと残る。
時間経過とともに
朽ち果てるのを待つのは忍びない。
と思いつつも動くにはエネルギーがいる。
先日TVで「家へついて行ってもいいですか?」
という番組をやっていた。
ある男性の生まれた故郷の家を訪ねる旅であった。
北海道留萌の近くの町。
今は誰もいなく道もなくなっていた場所。
子供時代、雪で泣きながら学校への道を歩いた思い出が語られる。
1時間もかかって歩くなんて普通だった。
自分も汽車通で駅から学校まで更に1時間ほどかかった。
帰りの時間が合わない土曜日など
友達と遊びながら2時間以上かかって
家まで歩いて帰ったことが
思い出された。
北海道への開拓の歴史は、
まだ100年余りだ。
苦労して開墾した土地は、
住む人を失くし、
荒廃の一途で開墾前の姿に戻っていた。
茫然とたたずむ姿に
見ている私の心が泣いた。
生まれた土地で、
暮らしていくという小さな仕合せは
しっかりした経済基盤が無いと
出来がたいことなんだと知る。
北海道は過疎化が進んでいる。
今も働く場所を求め都会へ行く。
人の目が気になる田舎が息苦しいと
いう想いもあるのかも知れないが。
働く場所が出来、
住む場所が確保され、
生活が安定して初めて心が落ち着くのだ。
持ち家や借家に関係なく、
自分の居場所を作って
どこに住もうと今いる場所が最幸!!
と思える人は仕合せですね(#^.^#)
人生100年時代。
まだまだ楽しく生きる知恵を磨き、
あなたがより良く暮らせるために
エスコートランナーとして、
お役に立てる自分でありたいと思った。
今日もご縁に感謝し、
ツイテル♪ツイテル♪
と元気に歳を重ねて行こう(^_-)-☆